気づいたときには、突然に。

好きなことについて。思ったことについて。好き勝手に書いていきます。

決まっていたことのように、自然に。

1ヶ月前から5年続けた仕事を休むことになった。

 

なんだが、あれよあれよと決まったことなのだが

いざ休んでみると、こうなることが最初から決まっていたような気がする。

 

よく会っていた妹には「もう少し早く、そうして欲しかった」と言われ

SNS上の知り合いからは身を案じるDMをもらったいた。

本人だけが「まだいけるのでは?やれるのでは?」と、

ギリギリの綱渡りを知らないうちに楽しんでいただけなのかもしれない。

 

休み始めてから、本当に自分でもがっかりしてしまうくらいに

特にこれといってなにもしていない。

 

休む前はやりたいことがたくさんあった。

読みたい本も、見たい映画も、いきたいところも、勉強したいこともあった。

 

明日のことも誰のことも気にしないで、24時間をどうにでも使えるはずなのに

働いていた時とは1日の流れ方や方向が違うので少し驚いている。

 

働いていた頃は、一人で完璧にできることが当たり前で、誰かに仕事をふるのが苦手だった。

自分でやった方が早いし管理できるから

精神衛生上を考えても自分の手と目の届く範囲においておきたかった。

 

ずっと目的地が見えない電車に、同時に何本も乗っている感覚だった。

 

いつ乗り込んでしまった電車なのか。

いつ降りることが許されるのか。

 

今思えば、いつだって降りる事ができたのだろうし、

緊急停止ボタンを押して電車を止めてしまえばよかったのかもしれない。

 

何本ものレールが無数にも絡まってしまって、これをほどくのはとても大変で

ほどいてしまったら私の心までも変わってしまうのではないかと思っていた。

 

たぶん、私の心はどこかでわかっていたのだと思う。

止まってしまったらもう走れないと言うことを、認めることができなかった。

 

お休みすることになった時は、

「明日からは、この先の見えない乗り継ぎ電車に揺られ続けることがない」という事実に、

信じられないような安堵を覚えた。あぁ、もうよいのかと思った。

家に帰って、久しぶりに泣いた。

 

乗り継ぎの電車の中では外の景色を楽しむような余裕はなくて、 

楽しいという気持ちが無くなっていく感覚に気がついた頃には、

私の中には何も残っていなかった。

 

時間が過ぎればそのうちできることが増えてくるよ、と言われるが

いまいちピンと来ない自分がいる。

 

うわーっと吐き出してしまいたいことは沢山あるはずなのに

言葉を吐き出すということは、とても体力がいることだ。

 

辛うじて行けたライブもミュージカルも何個かあるし、

全部大切な心の栄養になっているが、語彙力が無さすぎてどうにもなりそうにない。

 

休みを過ごして思うことは、

心に栄養がある人になりたいということだったりする。