気づいたときには、突然に。

好きなことについて。思ったことについて。好き勝手に書いていきます。

発掘された化石の気持ち

久しぶりに執務室に入ると

妙にお洒落感を全面に押し出した空間に

少しだけ圧倒されてしまって。

場違いってこのことなのかなぁと

ダサいシャツで訪れたことを後悔した。

 

 

あれよあれよと決まってしまって

拍子抜けしながら。

ゆるゆると出勤訓練を始めている。

 

まずは午前中から。事務所に。

 

久しぶりに会う人が多くて感動の再会みたいになってしまうから、

なんとなく苦笑いをしてしまう顔を隠すのもあってマスクで出勤している。

 

 

こんな風に祝福されるほど、ちゃんと働いていた5年間を誇らしくも思ったり。

まぁ、無理してデキるOL気取ってたもんなと思ったりもしつつ。

 

 

 

就寝のタイミング。

いつになったら掴めるのか。

 

自分の回復量が定かではないのと、

あまり自分を信用できていないので

色々な予定を断りながら

睡眠第一の生活を続けている。

 

でも、お薬のお陰で体は整ってきてるようにも思えていて

あとはこの、心配性な、少し生真面目すぎる性格のあれだなぁと

なんとなく結論付いていたりする。

 

 

働くって大変なことだなぁ。

 

5年やれてたんだから

やれないことはないって言い聞かせてあげるしかない。。。

 

青空なんだって声を大にして言い聞かせてやりたい。


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地元の歩きなれた道を

ぼんやりと音楽を聴きながら散歩をした。

思っていたよりも道幅が狭くて驚いた。

 

もうこの街をでて10年近くになるのだが、

道が狭く感じたのは初めてのことで

なんだが不思議な感覚だった。

 

帰省の時、

田舎の電車には行き先がでていない。

真っ暗な街をごとごとと音を立てて突き抜けていく。

見慣れない街並みにいつも新鮮な気持ちになる。

けれど、行き先が出ていないことに

少しだけ不安にもなる。

 

 

馴染みのない駅につく度に開くドアに

寒いなぁと文句の1つも言いたくなるけれど、

風の匂いが少しずつ地元の匂いに変わっていくのが面白い。

やはり東京よりも田舎の方が空気が美味しい。

 

 

 

最近は、ご贔屓バンドの新譜が最高に胸に刺さる。

 

お前の未来は青空だって、

悲しみなんて捨てていいよ

なんて言われたら、

無条件に泣いてしまう。

 

絶望に絶望している暇なんてないって最高にロックな歌詞だと思う。

 

心と体のどちらに連れられてきたのかなんて、

今の私にはさっぱりわからない。

 

 

 

音楽というものは適材適所で

人生の中で必要な時に必要な言葉を

すっと与えてくれる物のような気もしている。

 

 

感想なんてあったもんじゃない。


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先日、低みという新しい概念を手にいれた。

 

本誌はTBSラジオの某番組での1コーナーをまとめたものだ。

オンタイムで拝聴していたわけではないが、まとめを拝聴してはまってしまったのである。

 

<低みとは?>

法律に反しておらず、自己完結した見る人が見たらデリカシー不足、もしくは衛生観念に反している行為のことをさす。(本誌P252より抜粋)

 

 

ライフハックや時短と称したズボラとも言いがたい諸行の数々に

いやー、それはないでしょ!と突っ込みを入れたり。

 

メール投稿者さんたち秀逸な文章にゲラゲラ笑いながらページをめくった。

(パーソナリティが笑いすぎて読めない理由の一つには、リスナー投稿のレベルの高さがあると思う。タイトルのつけ方が最高にファンキーで、すでに1行目から笑いを誘ってくるものばかり。。。)

 

 

けれども、ふとしたところで

 

あれ?これ、もしかしてわたしなのでは??

 

と我に返って、ゲラゲラ笑っていた数秒前を少しだけ呪ってしまう。

 

 

法律に反しておらず、自己完結している少しデリカシーにかけている行為。

大きな定義のようだが、一歩間違えば軽犯罪になるような、

がっつり下ネタで終わってしまうような、そんな危うさを含んでいる。

 

世の中には、自己啓発本が溢れかえっている。

ただ、その殆どは高貴な自己投資を推奨し、似たようなことを言葉を変えて並べているだけなような気がする。本当ならば、高貴な自己投資に向けて活動をしてくことが人生を豊かにしてくれるのかもしれない。

 

けれども、別にそんなことをしなくても、高らかに反発をしなくても。

別に問題ないのだ。

と、そんな気分になる1冊でした。

 

 

 

旅に出よう、ここじゃないどこかへ

休職してから、旅にでた。働き始めてからの一人旅は初めてだったと思う。

 

睡眠期を少しだけ抜け出していた私は、今後の人生について神頼みをしに行きたかったのだ。(ちなみにこの話は4月のことで、今から半年も前のことであるが、神頼みの結果はまだでていない。そしてこの日記にはたらたらと旅の道なりを書いていく備忘録である。)

 
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前日に勢いで予約した東京新宿発の夜行バスに乗り、早朝伊勢で下車。目的地はもちろん伊勢神宮。外宮も内宮もどちらも参拝するつもりだった。夜行バスの中は遠足前のワクワク感を通り越した高揚感にあまり寝れなかった。 

駅そばのホテルを予約したのだが、チェックインは夕方。とりあえず目についたコインロッカーに荷物を詰め込んだ。車中二泊の一泊一人旅。荷物なんてそんなに無いのだけれど、それなりの荷物を持ち歩くのはめんどうだった。300円で買える幸せなら積極的に買っていくスタンスだった。

 

地図代わりのタブレットとポータブルの充電器さえあればどこにでも行ける気がしていた。あとは、ご朱印帳とほんの少しの勇気と小銭があれば無敵だった。案の定、この旅での私は無敵だった。

 
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朝一番に二見興玉神社へ。

ざぶんざぶんと波の音を聞きながら夫婦岩をぼんやりと眺めていると、少し曇った空が自分の鏡のようだった。この日の予報は雨。

どうか天気がもちますようにとお願いをした。

 
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その後は反対方向への電車に乗り迷子になりながら、なんとか伊勢神宮 外宮へ。朝御飯に赤福のさっぱりとしたあんこにほっこりしつつ、いざ外宮内へ。

壮大な空間に魂から心が震えた。

どっしりとした空間に、「ようこそ」と言われているような気がした。 

 
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タブレットに近場の名物を訪ねると伊勢まぶしを教えてくれた。

外宮の近くで食べるとそれだけで精進された気持ちになった。美味しかった。


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昼食の後は外宮別院までお散歩。神様が通る道の端を歩かせてもらった。

雨予報だった天気も気づいたら心地よい快晴で、なんだか歓迎されているような気持ちになった。日差しが心地よかった。


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駅からバスに乗り、てくてくと猿田彦神社を目指し芸事に明るくなるように祈ってから、内宮へ。お土産物は後にして、内宮の中へ足を進める。入口の川で手を洗うと水がとても冷たくて、ここまでの旅の高揚感を落ち着けてくれるようだった。

外宮よりも包み込まれるような暖かさを感じつつ、杉並からの木漏れ日に心を洗浄した。

 
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 内宮そばの土産市場で両親おすすめの伊勢うどんを。柔らかいうどんに甘辛のタレが絡んで美味しい。伊勢まぶしをたらふく食べた後でも苦しいと思いながらぺろっと完食してしまった。

 

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これはいかん!食べ過ぎている!!ので、内宮別院まで散歩。この頃にはちょうどよい夕暮れ時で、風が気持ちよかった。

 

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この時点ですでにかなりの距離を歩いていて、足が限界を告げていた。

外宮そばで揚げ物セットを買ってホテルで夜ご飯に。

 


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次の日は朝から外宮へ参拝をし、名古屋へ。久しぶりに切符を買った。

 


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二時間ほど在来線に揺られ名古屋へ。

ここでも熱田神宮へ神頼みに向かう。

結婚式の前撮りをしているご夫婦がいて、とても綺麗で心がほっこりした。

神宮内は落ち着いた雰囲気で、とても広かった。木々の力強さが凄くあるような気がした。

 

夕方は友人とご飯をたべて昔話に華を咲かせ、夜行バスに乗って東京へ戻ってきたのであります。

 

 

 

 

どうでもいいことの中に大切なものってあったりするよね

事務所の外に出るときは、いつも真っ暗で

太陽の光がこんなにも眩しいものなんだってことを

しばらく忘れていたような気がする。

 

こうも長い休暇になるとは思っていなかったので

初夏あたりは手持ちぶさた感が否めなかったけれど

このゆったりした生活の中で文化的な生活に拍車をかけていて

もう前の生活にはもどれないだろうなぁとぼんやりと思う。

 

そろそろ社会復帰したいなぁと思いつつも

お薬と自分の怠け者さ加減に振り回されっぱなしの毎日。

 

休んでみて気づいたことは、以外と一人でも

ふらふらできてしまうってこと。

あと、勢い人間だったってこと。

 

前からわかっていたことなんだけど、

改めて実感してしまう友達の少なさ。笑

 

心配してくれる同期や友人には、格好をつけてしまって

まだ休んでいることや、そもそも休んでいること自体を

言えなかったりしていて。

 

誰かに会うときはその時間帯にモードを合わせていて、

今まで通りのへらへら感を演出していたのだけれど

モードを合わせなくても通常運転でなんとかなることも

増えてきたような気がしなくもない。。。。。。

 

復帰してからも生活のベースを崩さないように

変な時間帯で変なことをする癖はつけないようにせねば。

 

そして、主治医にもう大丈夫の用紙を書いてもらわねば、、、、、。

 

あんなことやこんなこと。


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ゆったりとした生活を過ごすと、今までどれだけギリギリで生活していたのかを痛感する。

 

お布団の精霊爆睡モードから文化的人間(見習い)モードに突入してきたのもあって、小さな波を繰り返しながら、ゆるゆると上昇しているような、そんな気がしている。

 

休職してから、毎週主治医と面談をしている。

休職直後は「いいから黙って薬のんで寝ろ!」しか言われなかったけど、だんだん、「焦らないで、もう少し様子を見ましょう」へ移行し、最近は「朝起きれたね!えらいね!!」と褒めてもらって1週間が終わる。

 

いつになったらもとの生活に戻れるのかなぁと思うけど、漠然と思っているだけで、振り子が右へ左へ揺れるのをぼーっと眺めるのと同じ様な感覚だから、なんだか自分のことなのに他人事過ぎて、もどかしいなぁと思う。

 

もう少し毎日の時間を有意義に(例えば、勉強とか?)使えればよいのかもしれないけど、代わり映えのしないニュースをみて、続けてドラマの再放送をみて、ちょっと散歩して、たまに本を読んで、ご飯を沢山食べて寝るという、書き出してみると尚更、だらけた生活をしている。

これでも午前中動ける日が増えてきたから、大分ましになったんだけどね。

 

自分ではよくわからないけど、久しぶりに会う人のほぼ全員の第一声が「顔色が良くなったね!!!!」なので、他人からみても経過良好ならいいのかなぁと思う。

当時は生きるか死ぬかの毎日で、自分なりに頑張ってたつもりだったけど、どんな顔して働いていたのか、想像するだけでも恐ろしい。

 

最近、担当の産業医が変わったのだが、出身大学のことや、休む直前の睡眠方法について聞かれ、弊社にしては引き継ぎの成果が出ていて、ちゃんとした人なんだなぁって安心した。

 

休む直前は寝坊を避けるため、部屋の照明&テレビフル稼働+床で寝るという暴挙を1年半くらいしていたのだが、さすがにアラサーになってキツくなってきたし(体がパキパキになるのと、引っ越した先がフローリングで寒い)、お休み期間に入ってからは電気を消してお布団で寝ることにした。

(改めて活字でみると、常軌を逸する睡眠方法だと思うが、当時は家で夜飯を食べながら寝てたりしてたから相当ヤバかったんだと思う。)

 

そんな状況を引き継ぎ資料から察してくれたのか、産業医が「これ読んでみて!あげるよ!」とくれたフリーペーパーの見出しが、「朝スッキリ!グッスリ睡眠」だったのでちょっと笑ってしまった。

これを機会に睡眠について学ぼうかな。

決まっていたことのように、自然に。

1ヶ月前から5年続けた仕事を休むことになった。

 

なんだが、あれよあれよと決まったことなのだが

いざ休んでみると、こうなることが最初から決まっていたような気がする。

 

よく会っていた妹には「もう少し早く、そうして欲しかった」と言われ

SNS上の知り合いからは身を案じるDMをもらったいた。

本人だけが「まだいけるのでは?やれるのでは?」と、

ギリギリの綱渡りを知らないうちに楽しんでいただけなのかもしれない。

 

休み始めてから、本当に自分でもがっかりしてしまうくらいに

特にこれといってなにもしていない。

 

休む前はやりたいことがたくさんあった。

読みたい本も、見たい映画も、いきたいところも、勉強したいこともあった。

 

明日のことも誰のことも気にしないで、24時間をどうにでも使えるはずなのに

働いていた時とは1日の流れ方や方向が違うので少し驚いている。

 

働いていた頃は、一人で完璧にできることが当たり前で、誰かに仕事をふるのが苦手だった。

自分でやった方が早いし管理できるから

精神衛生上を考えても自分の手と目の届く範囲においておきたかった。

 

ずっと目的地が見えない電車に、同時に何本も乗っている感覚だった。

 

いつ乗り込んでしまった電車なのか。

いつ降りることが許されるのか。

 

今思えば、いつだって降りる事ができたのだろうし、

緊急停止ボタンを押して電車を止めてしまえばよかったのかもしれない。

 

何本ものレールが無数にも絡まってしまって、これをほどくのはとても大変で

ほどいてしまったら私の心までも変わってしまうのではないかと思っていた。

 

たぶん、私の心はどこかでわかっていたのだと思う。

止まってしまったらもう走れないと言うことを、認めることができなかった。

 

お休みすることになった時は、

「明日からは、この先の見えない乗り継ぎ電車に揺られ続けることがない」という事実に、

信じられないような安堵を覚えた。あぁ、もうよいのかと思った。

家に帰って、久しぶりに泣いた。

 

乗り継ぎの電車の中では外の景色を楽しむような余裕はなくて、 

楽しいという気持ちが無くなっていく感覚に気がついた頃には、

私の中には何も残っていなかった。

 

時間が過ぎればそのうちできることが増えてくるよ、と言われるが

いまいちピンと来ない自分がいる。

 

うわーっと吐き出してしまいたいことは沢山あるはずなのに

言葉を吐き出すということは、とても体力がいることだ。

 

辛うじて行けたライブもミュージカルも何個かあるし、

全部大切な心の栄養になっているが、語彙力が無さすぎてどうにもなりそうにない。

 

休みを過ごして思うことは、

心に栄養がある人になりたいということだったりする。